上町ドリル

中年エンジニアの悲喜こもごも。生老病死、仏教の世界では、生きることさえ苦しみというのです。苦しみから逃れるためには欲を捨てることしかない、との結論なのです。欲を捨てて生きましょう。

働くとは

 

ふつう、働く、ということは、会社に行って仕事をすること、と思っています。

でも、違いますね。家で働いている人もいますね。

それは、場所ですが、働く、仕事をする、というのは、お金を稼ぐこと、なんですね。

そうすると、働くということは、会社にいって、人に使われること、ではないわけです。

わたしは、ずっと会社に入社して、会社にいくことが働くことだと思っていました。

これが不幸の種になります。

働く、というのは、お金を稼げることをやっているか、否かなんですね。

たとえば、プロ野球の選手。家族の人は、練習や試合をしている選手をお仕事に行く、といいます。やっていることは、野球ですから、遊びなんですね。スポーツといいますが、遊びですよね。これが、仕事なんです。なぜか?お金を稼ぐことだからです。

この基本的なことを忘れてはだめですね。ふつうの人にとって、プロ野球選手は雲の上の存在の人なので、まったく違う世界に住んでいる人と勘違いしていますが、サラリーマンと同じなのです。

だから、働くというのは、お金を稼ぐ活動、というだけで、なんの制約もないわけです。強いていえば、犯罪じゃないということ。法律に違反していない活動、ということだけです。

したがって、お金をかせげれば、なんだって仕事なんですね。働く、ということなんです。いわゆる、プロなら、なんだって、仕事、働くこと、なんです。

ということはですよ、仕事はたいへんなもの、という認識を捨てることが大事ですね。

わたしはそう思っていました。人に言われた、いやことをやらないと、稼げない、と思っていました。まったく、違うのですよ。

ですので、仕事を探すときに、大事なこと。

 

楽に楽しく稼げることを探す、ということにつきます。

 

誰もが知っている、プロ野球選手はいい例なのです。

プロの中で勝たなければならない、という厳しさがある、と思ってしまうわけですが、まったく違います。野球をやって、こんなにお金がもらえる、こんないい商売はない、というのが実態です。

ですので、仕事探し、は、楽に稼げる仕事はないか、これだけでいいのです。

サラリーマンの親に育てられると、つらいのが仕事、とレッテルを貼られますので、まったく勘違いして、社会にでていきます。不幸の人生が待っていることになります。社会人は40年あるわけです。精神も体ももちませんよ。