上町ドリル

中年エンジニアの悲喜こもごも。生老病死、仏教の世界では、生きることさえ苦しみというのです。苦しみから逃れるためには欲を捨てることしかない、との結論なのです。欲を捨てて生きましょう。

社長もいろいろ

社長は、創業者なら、みんな起業家です。

でも、起業した社長は、尊敬に値します。

なんでか、自分で稼ぐ方式をあみ出した人だからです。

いわゆるギャンブラーみたいなもんです。運と実力の持ち主というわけです。

運だけの人もいますがね。

ですので、やり方を盗むのに弟子になる意味があります。

 

しかし、雇われ社長は違います。

雇われ社長は、中間管理職に毛がはえたようなものですね。

相続した会社を引き継いだ2世社長も同じですね。

こいつらはくせが悪いです。

ほとんどが、いわゆるいなくてもいい存在です。

 

いま旬の話題でいえば、日産のゴーンですね。逮捕されていますね。

たいしたこともしていないはずですが、高給をもらい、挙句の果てに、会社の金を使い放題。さすがに、いらないでしょう、となった結果が逮捕ですね。

ほんとうに必要な人材、本当の社長なら、こんなことにはなりません。

 

そういうことなので、社長を尊敬する、のは悪いことではありませんが、区別が必要ですね。

 

商売のスキルを盗むに値する社長を尊敬するのはいいことですね。

すごいなー。おれもまねしてみよう。これでいいのです。

それがほんとうのビジネスですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

働くとは

 

ふつう、働く、ということは、会社に行って仕事をすること、と思っています。

でも、違いますね。家で働いている人もいますね。

それは、場所ですが、働く、仕事をする、というのは、お金を稼ぐこと、なんですね。

そうすると、働くということは、会社にいって、人に使われること、ではないわけです。

わたしは、ずっと会社に入社して、会社にいくことが働くことだと思っていました。

これが不幸の種になります。

働く、というのは、お金を稼げることをやっているか、否かなんですね。

たとえば、プロ野球の選手。家族の人は、練習や試合をしている選手をお仕事に行く、といいます。やっていることは、野球ですから、遊びなんですね。スポーツといいますが、遊びですよね。これが、仕事なんです。なぜか?お金を稼ぐことだからです。

この基本的なことを忘れてはだめですね。ふつうの人にとって、プロ野球選手は雲の上の存在の人なので、まったく違う世界に住んでいる人と勘違いしていますが、サラリーマンと同じなのです。

だから、働くというのは、お金を稼ぐ活動、というだけで、なんの制約もないわけです。強いていえば、犯罪じゃないということ。法律に違反していない活動、ということだけです。

したがって、お金をかせげれば、なんだって仕事なんですね。働く、ということなんです。いわゆる、プロなら、なんだって、仕事、働くこと、なんです。

ということはですよ、仕事はたいへんなもの、という認識を捨てることが大事ですね。

わたしはそう思っていました。人に言われた、いやことをやらないと、稼げない、と思っていました。まったく、違うのですよ。

ですので、仕事を探すときに、大事なこと。

 

楽に楽しく稼げることを探す、ということにつきます。

 

誰もが知っている、プロ野球選手はいい例なのです。

プロの中で勝たなければならない、という厳しさがある、と思ってしまうわけですが、まったく違います。野球をやって、こんなにお金がもらえる、こんないい商売はない、というのが実態です。

ですので、仕事探し、は、楽に稼げる仕事はないか、これだけでいいのです。

サラリーマンの親に育てられると、つらいのが仕事、とレッテルを貼られますので、まったく勘違いして、社会にでていきます。不幸の人生が待っていることになります。社会人は40年あるわけです。精神も体ももちませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お金を貯める目的

今は無職の貧乏生活ですが、働いていたとき、お金をためよう、ためよう、といつもあせっていましたね。しかし、サラリーマンでお金をためることは、それほど意味がありません。

むしろ、60歳まで働くことに意味があります(いまは、65歳か)。お金を貯める目的次第ですが、サラリーマンがお金をためても、たかがしれています。

いちばん意味があるのが、家を買うことです。しかしですよ、貯金で家を買うこともできないのが現実なのです。

だって、家を買おうと思うと、普通に買うのなら3000万円ですよ。

3000万円貯めるには、仮に10年で貯めようと思うと1年で300万円です。

これ、若い時はとくに不可能ですよ。全年収になっちゃうので。

ですので、20年でみます。1年150万円。これならなんとかなりそうです。

計画的にやればですね。ですが、田舎なら、車も必要。車も買うことを考えると、ますます厳しいですね。

ですので、家を貯金して買おうと思ったら、定年後ですよ。

家を買うことすらできない貯金なのです。

家を買うときは、ほとんどがローンをくむことになります。

わたしも、家を貯金で買いたいと思っていましたが、さすがにローンでいいんだ、とわかりました。キャッシュで買う、ということはサラリーマンではありえないのです。

ばかばかしくなりますね。これが現実です。

 

ですので、お金を貯める目的は、なにかあったときのため、でしかないのです。

病気になった、仕事をくびになった、事故をおこした。そんなときの一時金の意味しかないのです。もちろん、ずっと使えるものではありません。知れた金額ですからね。

 

わたしは、いつかリタイアできるのでは、ということを考えて貯金していました。

ふつうにためていたのでは、不可能ですね。

あるとすれば、投資で一発あてることしかありません。

しかし、たいがいは損をします。わたしも損をしています。

 

したがって、サラリーマンは、貯金する意味はほとんどありません。

仕事、会社が生命線で、年金がもらえる60歳まで働くことしか意味がないのです。

 

そのことは知っておいたほうがいいですね。

したがって、サラリーマンは働くことから逃れられないので、どう働くのか、それがいちばん大事なことなのです。